(ああ、またかよ・・・)
だいぶ慣れて来た感覚だ。
俺は何処とも知れぬ場所の空気となった。
そこはかつて見た漆黒の空間に立つ歪な十字架・・・
そして、全てを屈服させる声・・・
(我が・・・子たちよ・・・)
(お呼びでしょうか?)
その声に呼び寄せられる様に十字架に畏まる人影・・・
(夢の・・・翁に・・・箱庭の姉妹も・・・また・・・まっとうした・・・)
(左様ですか・・・そうなれば寄り代も・・・)
(もはや・・・あと一息・・・で至高の領域に・・・足を・・・踏み込もう・・・しかし・・・壁が無い訳ではない・・・)
(と言われますと?)
(・・・八の・・・妃・・・)
(!!よもやあれが・・・此度の世にも!!)
(集った・・・)
(心配は無用にてございます・・・)
(どう言う事だ?)
(『八妃』には迷いが生じております・・・)
(なるほどな・・・真実を見せたか・・・)
(はい)
(確かにそれが良いのかもな・・・)
(そうなれば残されしは我らですな・・・)
(左様・・・禁断の・・・子と孫よ・・・我が力を濃く受け継ぐお前達に全てを託す・・・そして寄り代を更なる高みに誘え・・・)
(御意!!)
その言葉でまた視界は暗転する・・・
「う・・・朝か・・・」
また夢を見たような気がする。
その時には例外なく自然に眼を覚ます。
帰国してから数週間たった。
俺の怪我も感応でほぼ完治した。
今は連絡が来るまで待機と言った所である。
その間俺は『凶断』・『凶薙』の手入れをしつつ『凶夜録』を読み直す日々を送っていた。
こん・・・こん・・・
かなり控えめなノックが聞こえてきた。
「し・・・失礼・・・いたします・・・」
「ああ、翡翠」
「ひっ!!・・・し、志貴様・・・おはようございます・・・き、着替えはこちらに・・・」
それだけ言うと翡翠は逃げる様に部屋を後にした・
「・・・・・・皆」
皆は未だに紅玉・青玉の悪夢を見せられた事による心の傷が癒えていない。
それでも、アルクェイド・レン・シオン・沙貴はまだマシと言うべきか?
表情に翳りこそあるがだいぶ普通に話すことが出来る。
秋葉・先輩・翡翠に関しては俺に話し掛けられるとまだ固くなっている所がある。
そして、一番の重症は琥珀さんだった。
あの悪夢は琥珀さんにかつて受けていた虐待を思い出させたのだろう。
以前の人形としてなら耐えられたかも知れない。
だが今の琥珀さんのようやく取り戻せた人の心にはそれは辛すぎた。
今現在でも俺の姿を見るだけで怯える様に逃げ出してしまう。
そう言えばあれ以来俺は琥珀さんの笑顔を見ていない。
「ふう・・・鳳明さん」
「どうした志貴?」
「やはり残り二つは俺達だけで行きましょう。今の皆じゃあ足手まといになりかねない」
「・・・お前もそう思うか・・・そうだな・・・それが良いかも知れんな・・・」
「皆遺産との戦いに迷いが生じ始めている以上、危険です」
「ああ、そうだな・・・」
「まあ、その件については俺から話すとします」
「ああ、そうしてくれ・・・で、志貴最近やけに『凶夜』の事を記した書物を読み耽っているが何か気になる事でもあるのか?」
「ええ・・・実は『凶断』・『凶薙』で少し気になる事があったもので」
「気になる事?」
「少し待って下さい・・・この記述です」
俺が取り出した『凶夜録』の指をさした所にはこう書かれてあった。
"魔を滅する武具生み出す『凶夜』が生み出した至高の一刀。それをもってその『凶夜』魔をことごとく滅ぼす。その光ある所魔の生息は無し"
「?・・・これがどうかしたのか?」
「最初俺はここの至高の一刀と言うのは『凶断』・『凶薙』が一つであった時の太刀かと思っていました」
「それが当然だろう」
「ですけど更に下の記述を見るとそれに矛盾が出てくるんです」
「矛盾だと?」
「はい。ここです」
"生の終わりに『凶夜』己が生の証として『凶断』・『凶薙』を残しこの世を去る。"
「???何で『至高の一刀』と記述していない?」
「そうなんですよ・・・普通なら"『至高の一刀』から分けられし"とか記述して『至高の一刀』との関係を出す筈なのにそれがない・・・どう考えてもこの記述と先程の記述から考えると『至高の一刀』と『凶断』・『凶薙』これが同一とは思えないんです」
「だが・・・それは書いた者があえてこう書いた可能性もあると・・・」
「ええ、その可能性はあるのは俺も認めます。ですけどその場合でも何でそんな回りくどい事をしたのか?その疑問が残ります」
「それもそうだな・・・」
「あと、深刻な問題が一つ・・・」
「・・・『凶断』・『凶薙』、双方の具現化の威力が落ち始めているんだろ?」
「気付いていましたか・・・」
「当たり前だ。俺も片割れだけだが振るった事がある。その時と比べても明らかに威力が落ち込んでいる」
「・・・やっぱり・・・」
「志貴、気付いたのは何時だ?」
「確信が持てたのは、紅玉・青玉との戦いの最中です・・・そんな気がしていたのは風鐘との時でしたが」
そう・・・風鐘との戦いの時、妙に力が落ち込んでいたような気がしていた。
あの時はそれは拘束の為と思い込んでいたが、威力の低下は日を追うごとに深刻の度合いを増している。
「どちらにしても俺達はこれがどの様な製法で、造られたか知りません。ですから『凶夜録』にその術が載っていると思ったんですが・・・」
「外れたか・・・」
「はい・・・」
俺は軽く溜息をつく。
「まあ、悩んだ所で状況が変わる訳ではない。とりあえず一息入れろ」
「・・・それもそうか・・・」
鳳明さんの言葉に感じる所もあったので俺は軽く伸びをして着替えをしてから部屋を後にした。
居間に入ると一瞬にして空気が緊張したのが手に取る様にわかった。
「あっ!!・・・お、おはようございます・・・兄さん」
秋葉が今までとは違う、そしてここ数週間では変わらない、固い口調で挨拶を交わす。
「ああ、秋葉おはよう」
「兄様・・・どうぞ」
「ああ、ありがとう沙貴」
直ぐに沙貴が紅茶を差し出してくる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
暫し無言の時が流れる。
「・・・・・・あ〜琥珀さん」
「ひっ!!・・・は、はい・・・な、んでしょうか・・・」
俺の問い掛けに怯えたような視線を俺に向ける琥珀さん。
俺は苦笑しながら
「朝飯ありますか?」
「・・・あっ・・・ああ・・・はい志貴さんの分もありますよ」
「判りました。後は俺で片付けますから琥珀さん休んでいて下さい」
そう言って気軽に笑いかけてから食堂に入った。
志貴が食堂に入った後居間を支配していた緊張感は霧散した。
「・・・はあ・・・どうして兄さんと緊張して接しなきゃいけないのよ・・・」
溜息混じりに秋葉が呟く。
「・・・・・・・」
その問いに答える者は誰もいない。
その答えは全員判っているから・・・
どんなに志貴は違うと頭で考えて理性では判っていても体と感情がそれを妨げる。
その度に脳裏に去来するのは紅玉と青玉の末期を疑似体験したあのおぞましい記憶。
僅か一部だった。
それでも彼女達には想像を超える屈辱と悲しみが圧し掛かる。
かつて遠野槙久に虐待を受けていた琥珀ですら最初我を失うほどであった凄惨な記憶、それが彼女達に志貴と接する事を躊躇わせ、更には残る二つの『凶夜の遺産』との闘いの意思すら迷わせていた。
そしてその気配を志貴は既に察していた。
それ故に先程の会話が出てきたのだが・・・
と、そこに電話の音が鳴り響いた。
不意に電話の音が聞こえてきた。
この今時珍しいほどシンプルな着信音は・・・俺のだ。
俺は懐から携帯電話を取り出すと、
「もしもし」
『おお遠野か?』
「なんだ。有彦か」
『なんだとはご挨拶だな。まあいいや今夜予定あるか?飲みたいんだが』
『飲みたい』これは俺達の間の暗号で『情報を仕入れてきた』を意味する。
「ああ、良いぜ。場所はいつもで良いのか?」
『それで良い時間もいつも通りでな』
「了解」
携帯のスイッチを切り空になった食器を洗い片付ける。
(志貴・・・少し出ないか?)
(えっ?どうかしたんですか?)
(どうもしない。ただお前も大分精神的にまいっているみたいだったからな気分転換したらどうかと思ってな)
(・・・皆はともかく俺もまいっている様に見えますか?)
(ああ)
(そうですね・・・そうします)
(ああ、もう他の応援が期待出来そうに無い以上お前がしっかりしないといけないからな)
(はは・・・きつい事を言いますね鳳明さん)
内心で苦笑しながら俺は部屋に戻り服を着替えてから
玄関で
「悪い!!出掛ける!!消灯までには戻るから!!」
大声で伝えると外出した。
夜・・・
何時ものバーの何時もの席に何時もの赤頭が見える。
「よう、待たせたな」
「なに、少しだけさ」
互いにそれだけ言い俺は席につく。
それと同時にカウンターのマスターが俺に薄い水割りを渡す。
「さてと・・・飲む前に聞かせてくれるか?」
「ああ、今回はここだ」
「ここ?まさかこの街に?」
「何言ってる。日本だ、日本」
「それならそう言え。無駄に驚いただろ」
「ったく・・・勝手に驚いたのはそっちだろが・・・まあいいかそれで場所はここだ」
「えーと・・・県・・・郡か、ここから近いな」
「ああ、そこの・・・村の神社に奇妙な刀が奉納されているんだが、こいつがとんでもない曰く付きらしくてな、刀を抜くと村に大災厄が訪れるっていってそこの宮司は一切取材をさせてくれないらしい」
「へえ・・・また奇妙な」
「ああ、・・・そんでな遠野」
「なんだ?」
「悪いがこの件はこいつが最後だ。もう俺の調べた限り残されちゃいない」
「何だと?」
もう無い?
「ああ、未確認なら後一件だけあるが・・・こいつについては場所すら特定されていねえから・・・」
「いや、構わない有彦そいつちょっと見せてくれないか?」
「ああ、これだ」
と、手渡されたメモ用紙には『周期的に世界各地で発狂する都市、世界各地の暴動、騒乱の影の原因』と書かれてあった。
「判ったのがそれだけだ」
「なるほどな・・・こいつについて共通点は?」
「まったく無い」
「そうか・・・お前が調べて判らなかったらしょうがないか・・・有彦助かったよ」
「なに、俺も充分な報酬頂いたんだからなこれ位はしておかないとな」
「ははは、仕事はこれ位にして・・・少し飲むか?」
「ああ」
そして翌日朝食の席で
「皆遺産らしい情報手に入れたから朝食が終わったら出るから」
「えっ?・・・そうですか・・・」
「ああ、皆留守は頼む」
「は、はい・・兄さん・・・って!!」
その言葉を聞いていた皆は暫くしてから俺の方を凝視する。
「七夜君!!今なんと言いました!!」
「だから残りの遺産は俺と鳳明さんで決着をつけるから皆はゆっくりしていてくれと言ったんだ」
「無茶も良い所ではありませんか志貴!!」
「そうよ!!志貴忘れたの?今までの遺産ですら志貴苦戦したのよ」
「そうです兄さん!!」
「兄様!!せめて私だけでも」
「ふう・・・じゃあ皆に聞くが、皆満足に戦えるのか?」
「「「「「!!!・・・・・」」」」」
その言葉に全員口を閉ざした。
「それが答えだろ?先輩やアルクェイド、沙貴も判っているよな。戦いに対して半端な覚悟を持った奴ほど危険な存在はいないって事位は」
「それはそうですが・・・ですが未知の力を持った敵に最小の戦力で戦いを挑むなど・・・」
「ああ、愚の骨頂だ」
そんな事は俺も判っている。
「だけど、半端な覚悟を持った奴が戦場にいるよりはマシだ」
それでも俺は冷徹な口調をあえて作り答える。
「それはそうかもしれません・・・でも・・・」
あえて俺は途中で台詞を止めさせる。
「とにかく!!この遺産との戦い、残りは俺が終わらせる!!全員ここに残っていろ!!」
怒り口調をわざと創り乱暴に席を立つ。
そのまま全員何か言いたげな視線を振り払うように早足で食堂を後にして、部屋まで戻ると用意してあった荷物を手に取り玄関までいく。
そこには翡翠と琥珀さん、レンがいた。
「志貴様・・・」
「翡翠行って来る。おそらく一日二日じゃ帰れないと思うから」
「あ、あの志貴さん・・・」
「琥珀さんも今は養生する事を考えて」
「・・・・・・」
「レン、皆の夢のサポート頼むな」
寂しそうな眼を向ける翡翠、怯えの色が未だに見える琥珀さん、物欲しそうな眼を向けるレンにただそれだけ言って俺は屋敷を後にした。
この時俺は思いも寄らなかった。
これが遺産へ向かう最後の旅となるとも知らず・・・